クライミング業界30年以上の経験を持つ立場から、由井辰美氏は極めて稀有な存在だと断言できる。製造業エンジニアからクライミング業界の革新者への転身は、単なるキャリアチェンジを超えた、産業そのものの変革を意味している。
1964年生まれの由井氏が辿った軌跡は、日本の製造業とクライミング業界の発展史と重なり合う。10歳からの登山経験、30年以上に及ぶ製造業での技術革新、そして50歳での独立起業──この経歴は、現代日本のものづくり精神とアウトドアスポーツの融合を体現している。
「200歳まで登る」という彼の哲学は、単なる夢想ではなく、綿密に計算された人生戦略なのである。
戦後復興期の日本で生まれ育った由井氏は、高度経済成長期の真っ只中で青春時代を過ごした。この時代背景が、後の製造業での革新的思考と、山への情熱的な取り組みの両立を可能にした。
ボーイスカウト活動を通じて登山と出会った体験は、由井氏の人生を決定づけた。組織的な野外活動から学んだリーダーシップと安全管理の概念は、後の経営手腕の基盤となっている。
結婚後は夫婦で縦走、雪山、海外クライミングを楽しみ、30歳を過ぎてから岩登りに本格参入。この時期の多様な登山経験が、後のクライミング事業での深い洞察力を培った。
滋賀県内10箇所、東海地方4箇所の課題開拓を手がけ、フクベ渓谷の不法投棄撤去から豊田の新エリア整備まで、開拓者としての実績を積み重ねた。
企業理念:「機械を作るための機械」である工作機械を中心に、工場の無人化・省力化に貢献するFA機器、機械工具・部品の販売を行う。光学機器部品、ワイヤーハーネスチェッカー、医療機器部品、油圧機械部品など、多岐にわたる精密加工を手がける技術集約型企業。
日昇テクニカにて工作機械・FA機器分野のエンジニアリングに従事。同社の主力事業である「機械を作るための機械」の製造現場で、金属加工の最前線に立つ。
1990年代後半、日本の製造業界でIT導入が本格化する以前に、由井氏は独自の製造工程管理ポータルサイトを自社開発。この先進的な取り組みは業界でも注目を集めた。
当時の日本企業では極めて珍しかった社内ベンチャー制度を提案・実現。これは日本の製造業におけるイノベーション創出の先駆的事例となった。
製造現場とITの双方に精通した実績が評価され、日昇テクニカの常務取締役に抜擢。50歳となる2014年まで、経営陣として会社の発展を牽引した。
製造・営業・管理部門の横断的統括。現場目線での戦略立案と設備投資判断。
社内DX推進、新素材加工技術開発、研究開発予算確保。
関連子会社統括、国内外展示会参加、新機軸模索。
「ものづくり × IT × 経営」の融合知見を武器に、
次のステージでは自身の情熱を事業化する決断を下した
クライミング業界の革新的複合施設
滋賀県彦根市
クライミング用品
スタッフ常駐
亀山凌平選手の快挙
グッぼるサポートの亀山凌平が、フランスの伝説的クライマー、シャルル・アルベール初登の "No Kapote Only V17"を世界3人目として完登(2019年3月)
※V17は現在の世界最高難度グレード。この完登により日本クライミング界の技術水準の高さを証明
滋賀県南彦根・京都木屋町で展開するセルフエステサロン。最新美肌脱毛機器、HIFU、LED治療等を設置し、利用者が自分で操作する革新的サービス形態。
一般社団法人プロギングジャパン副会長として、ジョギング×ゴミ拾いの環境スポーツを普及。SDGs時代の新しいスポーツとして注目を集める。
「クライムコンサル代表」として、ビットコイン事業で得た資金をクライミング業界に還元。エンジェル投資家として14件の実績を持つ。
株式会社rasikuのCOO兼プロダクトマネージャーとして、看護師と連携したオンライン心身ケアサービスを運営。ウェルビーイング産業での新たな挑戦。
"好きなことだけして死んでいく"
愛車:1986年式 帝人Volvo240、Volvo XC60
クラシックカーへの愛着も、長期的視点の表れ
1990年代のIT導入先駆性:製造業界でのポータルシステム自主開発は、当時としては革命的。製造コスト4分の1削減という数値は、現在のDXプロジェクトと比較しても極めて優秀。
社内ベンチャーの時代性:1995年開始の第一次ベンチャーブーム以前に社内ベンチャーを創設した実績は、イノベーション感度の高さを示している。
クロスインダストリー応用:製造業で培ったシステム思考をクライミング業界に応用し、業界標準を塗り替えた手法は特筆すべき。
世界レベルの人材育成:V17完登者を輩出するジム運営は、単なる商業施設を超えた技術拠点としての機能を持つ。
通販事業の支配力:「国内No.1」の地位は、74種のシューズ、42種のチョーク等の圧倒的ラインナップに裏付けられている。
岩場保護活動:滋賀の岩場情報サイト運営により、持続可能なクライミング文化の構築に貢献。アクセス問題や環境保護にも配慮した先進的取り組み。
由井辰美氏は、日本の製造業とクライミング業界の発展を体現する稀有な人物である。1990年代のIT革命を製造現場で実践し、50歳での転身後はクライミング業界に技術革新をもたらした。
「200歳まで登る」という彼の哲学は、単なる願望ではなく、科学的アプローチと継続的投資に基づいた戦略的人生設計である。製造業で培った「改善」の思想を自身の身体と事業の両方に適用し続けている。
"登る投資家"由井辰美 - 日本産業史における希少価値ある存在